修行

パン屋になる理由

2020年、37歳で脱サラして今更パン屋になる理由。それは一言で表現するなら直観です。
ざっくりした私の経歴はメーカー営業→旅人→ハイカー→アウトドアショップ店員→オーガニックコットン専門商社。

■47ヶ国を旅をして、多様性を知った。
■アメリカのジョンミューアートレイル(340km)、スウェーデンのクングスレーデン(450km)というロングトレイルを歩いて、背負える荷物だけで1ヶ月を過ごした。シンプルに生きるヒントをもらった。

・ライティング

https://hyakkei.me/articles-author/onj11onj12onj13/ (ロングトレイルやアラスカなど)

http://fjallraven.jp/blogs/products/2018/10/03/131/ (フェールラーベンの製品レビュー)

・インタビュー

https://fika.cinra.net/article/201809-kungsleden (北欧のトレイル)


■パタゴニアというアウトドアの会社で、環境と経済のバランスを知った。
■オーガニックコットンの会社で、インドの農家さんたちと直接話をする機会がありました。

そもそも、この会社はオーガニックコットンの糸を輸入して、生地を企画・販売をしていました。とても素晴らしい会社だと今でも思っています。例えば1つの流れとして、タンザニアの原綿→インドで糸にして→日本で生地にして→中国で服にして→アメリカのお店に並ぶ。最初はそれらが”旅をする洋服”のようで、楽しいなと思っていました。
ある時、インドに行って、農家さんに、「数千円でも高くして欲しい、生活が苦しんだ」と面と向かって言われましたが、何もできませんでした。(働いていた会社は、実際の綿花相場よりも20%上乗せして買っていました)

その後、ニューヨークの高級デパートでTシャツが3,4万円で売られていて、60%offの下げ札もありました。そのデパートにはインド人らしき金持ちが、ショッピングを楽しむ様子を見て、虚しい気持ちになりました。ギャップ。この経験があったからこそ、ローカルにこだわりたいと思いました。

https://www.panoco.co.jp/report_wp/?p=1901 (前職の会社のレポート)

そしてコットン栽培から農業、食へと関心が深まった。そんな中で出会ったのが、ブーランジェリー•ドリアンの田村さんが書いた[捨てないパン屋]という本だった。ここまで付箋を貼った本は久しぶりだった。今までのことが繋がり、直観してこれだと思いました。

運良く研修生に選んで頂き、1月から広島にいる。じゃけえ、広島弁を聞くたびに東京ではない場所にいることを実感する。

(これは2021年2月に書いた文章を元に、同年11月に加筆修正したものです)

そしてドリアン卒業後、長野県佐久市に引っ越しをしました。長野県の農薬を使わずに育てた麦を中心にパンを焼いています。まだ開業準備中なので、イベント中心に活動しています。