ラダック編集後記

9月に行った3週間のインド•ラダック旅の紀行投稿を読んで頂きありがとうございます。のんびりなテンパーニュですが、時間をかけて最後まで書き切ることができました。

高地で乾燥地帯という過酷な場所に住み続けるラダックの民は、地に足をつけて生きていました。もう少し前のラダックを見れることが叶うなら、それは江戸時代の循環型社会を見ているようなものかもしれません。

同時にラダックは現代のテクノロジーにより、変化しています。ありきたりな言葉を投げかけます。幸せってなんだろうか。

日本のようなに効率を求めて、便利な社会になればなるほど、幸福から遠ざかる人たちがいるのは確かです。そんなパラドックスを見ると、人は機械ではなく、動物、植物と同じように生き物だということです。著者の意見として書いておきます。

本を読み、人に会い、手を動かして働いていても、不器用な僕にはまだ上手に説明することができません。ただ、伝統的な暮らしの中に、将来への希望はあるのだと思います。

とりあえず僕は日々、実直に近くの小麦を使いパンを焼いていこうと思います。投票の1票と同じような小さなアクションです。

そして小麦文化のラダックは、老若男女問わず、みんなが小麦を捏ねて、器用に伸ばし成形して小麦料理を作る技術を持っています。日本でいうなら、箸を操ってご飯を食べるような感覚です。

小麦、発酵、伝統的な暮らし、そんなキーワードで、どこへでも旅ができそうです。ただ今年は長野と東京への足固めをしっかりやっていきたいと思います。

インド•ラダック旅における小麦文化、伝統的な文化の紹介、どこかでリアルに紹介できたらと思っています。そんな場があればぜひご連絡頂けると嬉しいです。

今回の旅の機会、サポートをしてくれた妻に感謝したいと思います。ジュレー。

色んな場所でお世話になったラダックの皆さんに、ジュレー。

そしてラダック伝統のパン、カンビールの作り方を教えてくれたシェイ村のアマレヤンゼス(ヤンゼスお母さん)にも改めてお礼を伝えます。ジュレ、ジュレ。いつか、このカンビールを日本の皆さんにも食べてもらえるように、修行することをここに誓います。